大阪地方裁判所 平成3年(タ)308号 判決 1992年2月06日
原告 甲野一郎
右訴訟代理人弁護士 東幸生
被告 大阪地方検察庁検事正 土肥孝治
主文
一 亡丙川春夫こと丙春男が昭和三三年二月二二日に大阪府東大阪市長(当時布施市長)に対する届出によってなした原告に対する認知は無効であることを確認する。
二 差戻前及び差戻後の第一審の費用並びに第二審、上告審の費用は全部国庫の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和三二年一一月五日、大阪府河内市《番地省略》において、在日韓国人であった甲野太郎(帰化前の氏名、甲太一。以下「太郎」という。)と日本国民であった乙山花子(現在の氏名、甲野花子。以下「花子」という。)との間の子として出生した。原告出生時の事情及びその後の経緯は以下のとおりである。
2 花子は、丙田ナット製作所の経営者であった在日韓国人の丙川春夫(韓国名、丙春男。以下「丙川」という。)と終戦間近から事実上の婚姻状態にあり、昭和三一年ころまでに丙川との間に松子、一夫、次夫、三夫の四子をもうけていた。
ところが、花子は、昭和三一年一二月ころから、右丙田製作所の住み込み従業員であった太郎と親密に交際するようになり、以後丙川とは性交渉をもっていなかったところ、間もなく原告を懐妊するに至った。
3 丙川は、花子が懐妊したことから花子と太郎との関係を知って激怒し、花子に対し自分との婚姻届の提出を迫った。花子は、丙川の右申し出を断った場合の同人との間にできた四人の子の行く末を心配し、昭和三三年二月二二日、丙川との婚姻届を提出した。その際、丙川は、生まれてきた原告を自分の子であるとして布施市長(現東大阪市長)に対し同日付で認知届を提出した(以下「本件認知」という。)。
その後、花子と原告は、同年七月三〇日、同月一四日付告示により日本国籍を離脱し、韓国籍だけを有することになった。
4 しかしながら、花子と太郎との関係は、丙川の右のような強引な入籍、真実に反する認知、国籍離脱によっても途絶することなく、昭和三三年一二月、二人は原告を連れ出して出奔し、大阪市西成区甲原のアパートへ住居を移した。
花子は、昭和三九年八月三日、丙川と離婚し、昭和四七年八月二四日、太郎との婚姻届を提出した。
5 その後、花子と太郎は、本件認知について大阪家庭裁判所に認知無効の調停を申し立てた。しかし、丙川は、事実関係を承認しながら、太郎とのそれまでの行き掛り上あくまで調停に応じず、調停は不成立に終わった。太郎は、昭和四九年三月一日、やむなく自らの子である原告を養子とした。
太郎は、昭和四九年二月一六日、花子とともに韓国籍を離脱し、日本に帰化した。
6 丙川は、昭和四九年九月三日、死亡した。
よって、原告は、被告に対し、本件認知の無効確認を求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因事実のうち、原告が昭和三二年一一月五日乙山花子の子として出生した旨届出されたこと、丙川から昭和三三年二月二二日原告を認知する旨の届出がなされたことは認めるが、その余は知らない。
第三証拠《省略》
理由
一 《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
1 丙川(丙川春夫こと丙春男、本籍・大韓民国全羅南道済州道《番地省略》)は、西暦一九〇〇年(明治三三年)八月二三日生まれで、朝鮮(現大韓民国)の国籍を有していたものであるが、遅くとも昭和一九年ころには、大阪市浪速区に居宅兼工場を持ち、丙田製作所を経営していた。その当時、丙川の正妻である丁桜子は朝鮮に居住し、大阪の右住居では、丙川と内縁の妻であった戊菊子(西暦一九〇四年九月二〇日生)が四人と子供とともに生活を送っていた。丙川は、昭和一九年七月一二日丁桜子と協議離婚し、同年七月一九日戊菊子との婚姻の申告をした。
花子(従前の氏名、乙山ハナ)は、大正一一年一二月九日生まれで、日本の国籍を有していたものであるが、昭和一九年ころ、尼崎市に住所を有し、丙川方に家政婦として通うようになった。
その後間もなくして、大阪に対する空襲が激しくなったため、戊菊子は下の子二人を連れて朝鮮へ帰ることになり、同女の代わりに花子が丙川方に同居して家族の世話をすることになった。そのころ大阪市浪速区の丙川の居宅兼工場が戦災にあったため、一家は大阪府布施市(現東大阪市)丁田へ転居した。
丙川と花子は、同居するようになってから事実上の夫婦として生活し、昭和二八年ころまでに四人の子をもうけた。しかし、丙川は、酒癖、女癖が悪く、夜は頻繁に外へ出掛け、昭和三〇年ころには花子との性交渉もほとんどなくなり、夫婦喧嘩が絶えなかった。
2 太郎(帰化前の氏名、甲太一)は、昭和五年八月三〇日生まれで、朝鮮(現大韓民国)の国籍を有していたものであるが、昭和三〇年一月から工員として丙田製作所で働くようになり、丙川の住居に隣接する工員寮に入った。
太郎は、酒に酔った丙川が大声を出して花子と夫婦喧嘩をしているのが寮にまで聞こえてきて、その仲裁に入ることがしばしばあり、また、丙川との結婚は失敗だったなどと花子が愚痴を言うのを聞いてやることもあり、次第に花子と親しくなった。
太郎と花子は、翌三一年九月ころから情交関係を持つようになり、間もなく花子は原告を懐胎した。
3 丙川は、花子が自分以外の男性の子を懐妊したことを知って激怒し、その子の父親が太郎であると聞かされてからは同人に対し花子との関係を絶って別かれるよう要求した。
昭和三二年一一月五日に原告は出生し、同月一四日、花子が出生届を提出した。丙川は、翌三三年二月二二日、花子と太郎を引き離すため、それまで入籍していなかった花子との婚姻届を提出し、同時に本件認知の届出をし、いずれも受理されてその旨戸籍に記載された。花子と太郎は、間もなく丙川が原告を認知したことを知ったが、両名の立場上それに対し異議を述べることはできなかった。
花子と原告は、昭和三三年七月三〇日、同月一四日付告示により日本国籍を離脱し、以後朝鮮(現大韓民国)の国籍のみを有することとなった。
4 その後甲田某ほか四、五名の近所の住人が仲裁に入って丙川、花子及び太郎が話し合った結果、太郎が丙田ナット製作所を辞めて原告を連れて出て行くことになったが、昭和三三年一一月、太郎とともに花子も丙川のもとを出て、原告と三人で大阪市西成区甲原へ転居した。太郎は、その後丙川から花子を返すよう要求されたが、これに応じなかった。
太郎と花子が原告を連れて丙川のもとを去って数年したところ、丙川と花子との間の子である松子(昭和二二年六月二九日生)が、花子を慕って西成区の太郎と花子のもとへ来たので、以後松子も同居することになった。太郎と花子は、昭和三八年に一家で大阪市住吉区乙原町へ転居し、昭和四〇年八月六日長女花枝をもうけ、昭和四五年に同区丁原の原告肩書住所地へ転居して現在に至っている。
5 その後、太郎と花子は、丙川が花子との協議離婚の届出をなしていたことを知り、昭和四七年八月二四日、二人の婚姻の届出をなし、翌二五日、それまで同居して生活してきた松子を太郎の養子とする養子縁組の届出をなした。
太郎は、本件認知によって戸籍上丙川の子と記載されている原告については、戸籍上も実子としたいと考え、そのころ大阪家庭裁判所に認知無効の調停を申し立てた。しかし、丙川は、右調停手続の中で原告が自分の子でないことを認めたものの、調停には応じず、結局調停は不成立に終わった。
そこで、太郎は、原告が成人に達した後に自ら認知無効の訴訟を提起させることとして、昭和四九年二月一六日、妻花子、原告らとともに日本に帰化したうえ、同年三月一日、とりあえず原告を養子とする養子縁組の届出をなした。
6 丙川は、その後も大阪府内に住所を有していたが、昭和五〇年一一月二三日死亡し、花子がその葬式をとり行い、太郎もこれに出席した。
7 太郎は、原告が戊山大学に入学した後の昭和五二年ころ、原告に対し、その出生当時の事情を打ち明け、原告の血統上の父は太郎であるが戸籍上は丙川が原告を認知したので父と記載されていること及び丙川は既に死亡している旨を説明した。
二 管轄
右認定事実によれば、本件は、日本に住所を有し日本の国籍を有する原告が、日本に住所を有し大韓民国の国籍を有していた丙川の死亡後、同人が生前なした原告に対する認知が無効であるとして、検察官を被告としてその無効確認を求めるものであるが、被認知者(子)である原告の住所が我が国にあるのであるから、条理上、我が国の裁判所が本件訴えについていわゆる国際的裁判管轄権を有すると解するのが相当である。
三 準拠法等
(一) 本件は、事実上の父子関係が存在しないことを理由とする認知無効確認請求事件であり、これは認知の実質的成立要件の存否にかかる問題であるから、法例(平成元年法律第二七号による改正前のもの。以下同じ。)一八条一項により、その準拠法は、認知者たる父又は母に関しては認知当時同人が属していた国の法律、被認知者たる子に関しては認知当時同人が属していた国の法律であり、認知が有効であるためにはその双方の要件を具備することが必要であるところ、前記認定事実によれば、認知者である丙川は昭和三三年二月二二日の本件認知当時朝鮮(現大韓民国)の国籍を有していたから、同人については同国の法律により、他方被認知者である原告は、出生時の法律上の父子関係は不明であり、母花子は日本国籍を有していたから、国籍法(昭和五九年法律第四五号による改正前のもの。)二条三号により日本国籍を取得し、本件認知当時日本国籍を有していたものであるから、原告については我が国の法律によることになる。
(二) そこで先ず朝鮮(現大韓民国)の認知に関する法律について検討するに、同国においては、本件認知当時(西暦一九五八年)、朝鮮民事令(明治四五年制令第七号、大正一一年制令第一三号により一部改正)に基づいて日本旧民法(明治三一年法律第九号)が適用されていたが、西暦一九六〇年一月一日新民法(西暦一九五八年二月二三日法律第四七一号)が施行され、同法附則二条により、同法は特別規定がある場合の外は同法施行日前の事項に対しても適用されることになっており、認知に関しては特別の規定がないから、同法施行日前になされた本件認知についても結局右新民法が遡及的に適用されることになるところ、同法八六二条、八六四条によれば、被認知者は、認知の効力を争うには、認知の申告があることを知った日又は認知者の死亡を知った日から一年内に認知に対する異議の訴えを提起しなければならないものとされている。してみると、前記認定事実によれば、原告は、本件訴えを提起したことが記録上明らかな昭和六一年五月一四日より九年ほど前に、同人の血統上の父は太郎であるにもかかわらず丙川による原告に対する本件認知がなされていること及び丙川が既に死亡したことを知ったのであるから、本件訴えは、大韓民国民法の定める右出訴期間を徒過していることは明らかである。
(三) ところで、法例一八条一項は、認知の要件につき、認知者たる父又は母に関しては認知の当時の認知者の属する国の法律によりこれを定め、被認知者たる子に関しては認知の当時の被認知者の属する国の法律によりこれを定める旨を規定しているが、同条は、国籍を異にする認知者と被認知者との間の身分関係を肯定するのに確実を期するとともに、不確実な身分関係を排除するため、認知者及び被認知者のそれぞれの本国法によって認知の要件を具備する場合に認知の効力を肯定することができるものとした規定であると解すべきである。したがって、認知者及び被認知者の各本国法の規定する認知の有効要件が異なる場合には、一方の本国法によって認知が有効とされるだけでは足りず、他方の本国法によっても認知が有効とされるときに、初めて認知の効力を肯定することができ、認知者及び被認知者の各本国法の規定する認知の無効要件が異なる場合には、一方の本国法によって認知が無効とされるときは、他方の本国法によって認知が無効とされないときであってもなお、認知の効力を否定することができるというべきである。
そして、右のような法例一八条一項の趣旨にかんがみれば、子が父に対して認知を求めるにつき、出訴期間の制限がある場合には、父又は子の一方が本国法の規定する出訴期間を徒過していれば、当該認知を求める訴えは不適法として却下を免れないが、子が父に対して父がした認知の無効確認を求めるにつき、出訴期間の制限がある場合には、父及び子の双方の本国法の規定する出訴期間を徒過していない限り、当該認知の無効確認を求める訴えを適法として、認知の効力の有無を判断すべきものである。
これを本件についてみるに、原告の訴えは、大韓民国の国籍を有する丙川が日本国の国籍を有する原告に対してした本件認知の無効確認を求めるものであるところ、丙川の本国法である大韓民国民法八六二条、八六四条によれば、本件訴えは同条の規定する出訴期間を徒過しているため、本件認知の効力を争うことはできないが、原告の本国法である我が国の法律によれば、なお本件認知の効力を争い得るものと解される。
三 そこで進んで、我が国の民法に基づき本件認知の効力について判断するに、前記認定事実によれば、原告は太郎と花子との間の子であり、丙川と原告との間に事実上の父子関係は存在しないものと認めるのが相当であるから、本件認知は無効である。
四 結論
以上の次第であるから、本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、人事訴訟法三二条一項、一七条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 亀岡幹雄 裁判官 小池喜彦 筒井健夫)